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2016年 新春鼎談

 2016 新春鼎談

 

谷村(T):明けましておめでとうございます。
 
松嶌(M):おめでとうございます。今年も無事、3人そろってお正月を迎えられてよかった。
 
中白(N):皆様にはいろいろな面でサポートしていただき、ありがとうございました。今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
 
T:去年もいろいろありましたね。何から始めましょうか?
 
N:去年の最終号でこのインナームーブが200号だったんですね。これもまたおめでとうございます! 11月に読ませていただいて、早いもので200回にもなるんだぁ…って思いました。
 
T:そうですね。その前には「ウェルネス」という今ではありきたりのネーミングだったのですが、当時としては珍しかったです。
 
M:ウェルネスは57号、わずか8ページ、感熱紙にワープロで作っていた手作り感いっぱいの紙面でしたね。
 
T:そうそう! ワープロでやっていました。順子さんもその当時からいろいろと編集を手伝ってくれていましたね。
 
N:合わせて25年以上もやっているんですね。
私は教室のレッスンで経験したことウエルネス」の谷村先生が書かれた文章で更に整理や深く理解することができ、毎月楽しみでした!その時生まれた子供さんが25歳になっているんですよ。こんなこと言ったら歳がバレちゃいそう。当時はモデルもさせていただいてましたね。(笑)
 
T:私としては、当時ただやりたいからやってみたという感じで、こんなに続くとは思いもしませんでした。こんなこと言っちゃなんだけど、今ほど重要な存在になるとは思ってもいなかったんですけど、会長としてはどうですか?
 
M:毎月の発行がリズムになっていますね。全国の生徒の皆さんに会えるわけではないので、私や英司先生、協会の役員がどんなことを考え、どんなことをしているか、どの方向へ向かっているのかを直接お伝えする、貴重な媒体です。ほかの教室の活動や仲間のことを知るのも励みにしていただけるんじゃないでしょうか。
 
T:確かに。協会として、研究会としての“顔”となっていますね。
 
M:発信する側にも自分の考えを整理し、積み重ねていく、貴重な機会になっていますね。私は気楽なエッセイのようなことを書かせてもらってますが、山ほどの言いたいことからそれなりに絞っていますし、師範会のメンバーにはチャレンジにもトレーニングにもなっていると思います。
 
N:お蔭様で、私自身も時々投稿させていただく時には、改めて私のやっていること、やりたいことを再考するいい機会となっています。
 
T:それとやはり“長く続ける”ということの大切さを痛感しますね。振り返って考えてみると、続けるということは、単に同じことを繰り返すということではなかったように思うのです。同じ題材を繰り返し続けられるのは、自分の考えたことに対して、別な視点で見直したり、疑問を持ったり、壊して考え直したりということができたからこそ続けてこられたように思うのです。
 
N:そう言えば、何度も繰り返し観察しているのに、なぜ今まで気づかなかったのか?と思うことがあります。別の視点で見れた瞬間に、いつもの見方を壊したり、少し手放して見れたりすることが、新たな気づきとなるんですね!
 
M:いつか話題になったあれ…、“守・破・離”の繰り返しですね。自分の肉体や意識、体験と記憶、さらに周囲の人間関係や自然環境なんかも変わっているわけで、そもそも同じ場所に同じ状態でとどまることはできないのに、だからこそ動かないよう、変わらないようにしようとする傾向は本能的といってもいいくらい、私たちはどこかに持っているんじゃないでしょうか。選択して“積極的にとどまる”というより、動くこと、変わることへの恐怖とか不安という風にですけど。
 
T:確かに意識の深いところでは、変わることへの不安や恐怖というものが蠢いているのかもしれませんが、もう少し身近な気持ちとしては、変わること、あるいは見直すことが面倒クサいという気持ちがあります。それはつまりナマケモノということなんでしょうね。
 
N:私も新しいことにトライしたり、苦手なことをする時には、後回しにしていることに気づきます。そういえばリカさんが私たちによく「ナマケモノにならないで!」言われていましたね。レイジーという英語を自然に覚えてしまいました。(笑)
 
T:私は本来ナマケモノですが、ラッキーなことに、この「インナームーヴ」の原稿だけはそれを許してくれませんでした。
 
M:始めの頃はふたりだけで書いていたぶん、8ページがやっとこさで。今では多くの執筆陣が広いテーマで書いてくださるので、僕は気の向くままにあれこれ広げていますが、その点、英司先生はずっと、ひとつテーマが決まるとしばらく粘っこく追求してこられましたね。実はナマケモノとはとても忍耐強い生物かもしれない…。
 
T:そういえば、ナマケモノという動物は非常にゆっくりと動きますよね。一日にちょっとしか動かない。だからナマケモノなんて名前つけられたけれど実は決して怠け者ではないと思いますよ。(笑) でも人間のナマケモノはやはり怠け者で、その定義は、ある視点を持つとその視点以外では見ようとしないで、同じ視点で機械的に反応するということじゃないかと思うのです。そしてそれに飽きてまた別のものに飛び移る。
 
M:英司先生が機械的に反応することなんて、昔のことにせよあったんですか?
 
T:おおありですよ。昔はもっと先に進みたいと思っていたような気がします。その先に何かあるような気がしていました。そしてそれを早くゲットしようと…。やはりエンドゲイニングですね。そのためには今の問題を早く解決し、決めつけ、機械的に反応していましたね。そうしないとそんなところで立ち止まっていては先に進めないと思っていたように思います。
 
N:でも一見それはまじめな人のように思われますけど、実は決めつけたことを再検討することに対してはナマケモノだというわけですね。そしてその理由はエンドゲイニング…。
 
T:そうなんです。しかも私が機械的に反応しているその決めつけが、もし間違っているとしたら、その先はきっと間違った結果を生み出すでしょう? でも当時はそんな視点は全然持ち合わせていませんでした。それはさっき会長がおっしゃった変わることへの不安ということとリンクしているのかもしれません
 
M:まだ自信がない若い頃の不安って、じっとしていること、周りから取り残されることへの焦りとはいえないですかね。
 
N:エンドゲイニングの奥にはその心理があるように思います。
 
M:僕がハワイに行って少し慣れた頃、こんなパラダイスで過ごしていていいのか?ってちょっとジタバタしたような。新聞もテレビもほとんど日本のことは報道されず、日本語テレビや映画は戦後の時代劇だし。毎年のように引っ越したり旅行に出かけていましたが、この世界を経験し始めの頃には、とりあえず決めて、次・次って体験していくのも悪くないんじゃないでしょうか。機械的な反応といっても、まだそれほどパターン化していないだろうし。
 
T:そうですね。それを学びのプロセスと考えれば別に悪くはないでしょう。そして私の場合、先ほど言っていたような私のアプローチは、ちょっとおかしいんじゃない? だからもう一度このことを見直してみよう!というチャレンジをさせてくれたのがこの「インナームーヴ」の原稿だったような気がしているんです。
 
N:原稿書きが学びのプロセスだったんですね。書くことによって整理される、そのプロセスが大事で、深い理解に繋がっていきますよね。

 T:今から思えばそうだったような気がします。お二人もご存じのように私は、ヨガから始まって、瞑想、操体法、野口体操、フェルデンクライスなどいろんなことを学んできました。そして最終的にアレクサンダー・テクニークにたどり着きました。もう変わることはないと思いますが、でも一貫して私がやってきたテーマは“意識とからだ”ということだったと思うのです。ここのところは外せなかった。したがって当然、原稿もこのことにこだわり続け、決めつけずに何度も再検討してきました。

 

M:タイトルの「インナームーヴ」に込められているテーマでしたね。外見的な動きは小さく繊細な内的な動きの結果にしかすぎないとか、その動きを感覚でとらえるトレーニングがまず重要だとか、いろいろディスカッションしたような記憶があります。
 
N: 内側の働きと今は皆さんに伝えてますが、内側の働きを捉えるのに、苦しんだし時間かかったなぁと思います。
 
T:その中で原稿を書く時、当然自問自答があるわけです。つまり自分自身で問題を提起して、その答えを見つける、そしてまたその答えの中に問題を見つけるという作業があったように思います。極端に言えば作っては壊し、壊しては作るという作業を25年以上やってきたわけです。
ここで話を戻して、私は本来ナマケモノでしたからそんな私が再検討を繰り返し25年以上もやれるわけがありません。この仕事を与えてもらったからこそできたことだと思うのです。本当にラッキーでした。
 
M:その25年のうちの後半頃からは問題~答え~問題~答え…の連鎖は自動的というか、ほとんど同時に生まれていていたようにも見えましたが。なによりその気付きと発見の連鎖が楽しくってしょうがないような。
 
T:そうですね。日ごろからワークについての実践と再考を繰り返していますから、いつの頃からか自然に話題が自分自身の中から生まれてくるようになってきましたね。
でも私にとって本当に楽しいのはワークを実践しながらの気づきと発見であって…。
 
N: そうそう私もワーク中の気づきや発見が楽しい!
 
T:書くことはそのことをどうやって表現すればいいのかいつも試行錯誤していますね。もともとこれは言葉で話せるようなことではないと思うのです。私の内面で起こっていることを感覚でとらえた気づきと発見なのですから。紙面で何度も書いたように、F.M.アレクサンダーは言葉で話せないことだからこそハンズオンという手法で生徒に教えたのです。でも、だからと言って話すのをやめておこうとするのではなく、話してみようとするのが私のチャレンジだと思っています。
 
M:もう黙って、自分ひとりでいいやっていうところの一歩手前までは行く感じはあったりしながら…。すると締め切りが目の前に来ていて、とりあえず書かなきゃいけない。そんな繰り返しの時期が僕にはよくありましたけどね。
 
T:それ、私が言いたいのはそれなんです。その自分が面白いということを自分一人でいいやということで誰にも話さければ、それが再検討されることはないと思うのです。私にとって、この話すということが原稿書きだったんでしょうね。これがなかったら話すことなく自分の中で収まったまま、再検討もされないまま悶々と生きていたのかもしれません。そしてそれらは再検討され、見直されることはないので、一見忘れ去られたように思いますが、実は幼稚というか未熟で、錯覚したままの固定観念となり、バラバラで整理されないまま息づいて内面で葛藤していると思うのです。その結果として表に現れた時には、どうして私はこんなにイライラしているのだろう?とか不機嫌なのだろう?とか、自分自身でも原因がわからない現象として現れてくる。
 
M:僕たちはオタク化するところを「インナームーヴ」に救われてたわけですね~(笑)
 
T:そうなんです。
オタク化という言葉で私が連想することがあります。それは、私の奈良スタジオへ向かう途中に、今なにかと話題になっているゴミ屋敷になってしまった家があるのです。そこにはおばあさんが一人で暮らしておられるのですが、その方を見かけるたびに私は、いつからこうなってしまったのだろう?と考えてしまうのです。何かちょっとしたことがきっかけだったように思うのです。ある晩夕食を済ませて、眠くなったので片付けはそのまま、明日しようと思って、寝てしまう。誰も文句の言う人はいないし、迷惑をかけるわけでもないから大丈夫と。そんな始まりで、しなければならないこと、あるいはしたいことを先送りした結果、こんなことになってしまったような気がするのです。
 
M:ん~、耳が痛い。
 
N:私もまだまだ捨てられないものがたくさんあります。
 
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  • 2016年1月29日(金) 20:29 JST

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