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2004 インナームーヴ新春対談

2004年 新春対談
昨年に続いて、年の初めに松嶌会長と谷村先生が対談しました。
話題は夏のイギリス研修から、やはり内面世界へ・・・。
松嶌: 明けましておめでとうございます。
新しい年の始まりって、みんな背スジが伸びている感じがしますね。意欲に充ちている状態だからかな。秋から冬に入って、なんとなく背中が丸まっていたのに。
松嶌 徹
松嶌 徹
国際ヨガ協会
会長
谷村英司
谷村英司
日本アレクサンダー
テクニーク研究会
代表
谷村: 明けましておめでとうございます。旧年中はいろいろお世話になりありがとうございました。今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
そうですね。やはり新しい年という節目をきっかけに意識がフレッシュになるからではないでしょうか。これが一年ごとにではなく一日いや一瞬一瞬そうなれればいいなあと思うのですが・・・。
松嶌: まったく。スウェーデンボルグが「どんな一瞬も、そこから続く永遠の始まり」と言った通りですね。
谷村: ところで今年はアレクサンダーテクニークのコングレス(世界会議)がイギリスのオックスフォードで8月に開催されます。ツアーの企画を去年の暮れに話し合いましたが、今の段階で会長の頭の中ではどんなツアーにしようと考えておられますか?
松嶌: コングレスについてのウェブサイト(http://www.atcongress.net/)をひと目見て、こりゃあ行かねば、と思いましたよ。大好きな「ハリーポッター」の世界、そのままのコングレス会場。実際にロケで使われた建物も近いとかで、ワクワクしてます。
谷村: それだけかい!(笑)
松嶌: ええ、まあ。あとね、アロマテラピーやフラワーレメディ、リフレクソロジーの本場なので、ロンドンで体験講座なんかも探せるかなって・・・。いえいえ、ついでにですよ、ほんとうに。
アレクサンダーについては僕は初めてのコングレスなのでよくわからないんだけど、何十人もの教師が世界中から集結して来るわけでしょう。有名・無名とり混 ざって、それぞれ個性の違うタッチを分科会的に体験して回れるというのは豪勢なことで、楽しみですね。教師のバックグラウンドや個性によってワークの肌ざ わりがぜんぜん違うって、よくヘジイ先生も言われていますから。
谷村: 私 もこれで3回目のコングレス参加になるのですが、好き嫌いは別にしていろんな教師と交流することによってその違いを理解することは大変勉強になりますね。 私の場合、欧米の人にはない視点、日本人である私にしか見えない視点や探求の方向がだんだんとわかってきたような気がします。単にアレクサンダーの言って いることを鵜呑みにしてそれを伝えるのではなく、日本人である私がどういうふうにとらえ、探求しているのかをもっとはっきり自覚し、そのことを主張して いって良いのではないかと思っています。
松嶌: かってヨガが通ったのと同じポイントを踏み出すところですね。
谷村: そ う、同じ考えを持っています。ヨガは本来インドで生まれたものだけど、それを日本にもってきたときには、日本人の視点でとらえたヨガというものがあってい いと思うんです。インド本場のヨガが日本で本当に根づくとは思えないからです。そのためにはもっとオリジナリティーを持ってクリエイティヴにヨガに取り組 んでもいいんじゃないかな。好き嫌いは別にして“パワーヨガ”、あれなんかは完全にアメリカ人の視点で作られたものでしょう?
松嶌: ま あ、そのパワーヨガでさえ、日本人の手にかかれば、ちゃんと磨きをかけられると思っています。映画「ラスト・サムライ」でも強調されていたけど、外来の文 物をみごとに磨き上げる感性と執念のようなこだわりで。ピアノやヴァイオリン、オペラ、バレエなど、明治以降に入ってきたものでも本家をしのぐ力量を発揮 してますよね。むしろ同じ文化圏の人には超えられない一線を、東洋人だから超えられることもあるでしょう。アレクサンダー・テクニークはこれらの芸術分野 と似て、タッチで伝わるという点で、世界の人々にインパクトを与えることができるはず。
ヨガ健康法もすでにインドのヨガからは独り立ちしているんですけれど、別にインド世界のお墨付きを必要と思わないで国内だけで日本人のための活動をしてい るから、あえて本家との違いを訴える必要を感じないだけ。将来、名前の通りに国際的な活動をするようになったら、もっと説明しなくっちゃいけないとは思っ ていますけどね。
ともあれ、世界中の多くのヨガ指導者がアレクサンダー・テクニークという手法に注目し、取り入れているので、日本のアレクサンダー・テクニークが確立されることは、日本のヨガを説明する上でも心強い“連帯”だと思っています。
谷村: 今 年の『サットサンガ』では、アレクサンダーを学んでいる方々がそれを実際のヨガ教室でどう活かしていくかを考える分科会も企画されているというでしょう。 これは大変良いことだと思っています。そこには当然試行錯誤があるでしょうけれど、諦めないで何か新しい“試み”をやってみようとする事が大切だと思いま す。そのプロセスに皆が参加し、練られていくことによっていいものができ上がってくると思うのです。それが先ほど私が言ったオリジナリティーを持ってクリ エイティヴに・・・ということです。
ところで私にとって、いま会長が言った“連帯”という言葉に触発されることがあります。というのも私の中では今年のキーワードとして“つながる”というも のがあるからです。これがどういうところから出てきたかというと、インナームーヴで私が言っている“内的筋肉”の活動の性質の一つに“拡がる”というもの があると私は思っているのですが、その“拡がる”ということはいったいどういうことか? と思ったのです。
話しを判りやすくするために具体的にやってみましょう。右の指先に意識を置いてください。意識はそこに集中していますね。今度は右のひじに意識を置いてください。今度は指先からひじに意識が移動してそこに留まり集中するのがわかるでしょう? 指先への意識は?
松嶌: 消えてますね。うん、うん。これを“集中”って呼んでるんですね。
谷村: そうそう、その“集中”ってことも私には新しい発見があったので話したいんですが、それは後に回して今はこの“つながる”ということを続けてみます。
それで、これでは私の右の指と肘は何の関連性も持てないわけです。通常私はそういう意識の移動をやっていることに気づきました。要するに私の意識が点から 点に移動しているだけで拡がっているわけではない。ところがそういう意識の単なる移動が“拡がる”ことだと思い込んでいるのではないかと思ったのです。
そういう“拡がる”ということに対する誤解を解くためにはもっと別な言い方をしたほうがいいんじゃないかと思うのです。そこで出てきたのが“つながる”と いうキーワードです。どういうことかというと、右の指先と肘に意識を置いたら次にその“間”に意識を広げてみて欲しいのです。そうしていると私の意識が右 の指先と肘を同時にとらえ始めることに気づきました。つまり私の意識の中で右の指と肘が“つながる”ことによって意識が結果として拡大したと言えると思う のです。
この実験の結果、からだが“拡がる”あるいは意識が“拡がる”という意味はそれぞれが“つながる”という意味だということを発見しました。そしてこの“つながってゆく”プロセスの一瞬一瞬に大変重要な意味が秘められていると感じました。
松嶌: そ りゃあ、考えてみれば当前そうなっていないといけないんだけど、たとえばアサナで生徒さんをリードするときなんか難しいことですね。トレーナーはつなげる つもりでも、身体の部分ごとに誘導するから聞いている生徒さんの意識のなかで身体が断片化してしまう。身体だけじゃなく、アサナしながら「はい、吸って」 と言われた瞬間、呼吸に意識が飛び移ってたいてい身体はお留守になるし。
谷村: そ うなんです。私自身以前からそうして一つのからだの部位を感じていて、別な部位あるいは別なことを感じようとしたときに最初の部位のことが意識から消えて しまうのは何故だろうって思っていたのです。先ほど言った意識が点から点に移動するだけで、しかもその前の点の意識は消えてしまい何のつながりも持てない のです。こんなことを何年やっていても何の発見も変化も起きないんじゃないかって薄々感じていたんですがその突破口が見出せなかったんです。
そうこうしているうちにある時期から何故だかわかりませんが、私の感覚の中でその点と点がつながり始めたのです。今流行りの養老猛さんの話しで言うと私の脳の中で何かのシナプスとシナプスがつながったのかもしれません。(笑)
松嶌: “バカの壁”が崩れ始めたんだ。
谷村: そ の時に気づいたのですが、私は点のみに意識を集中し、その点と点の“間”に意識は流れていなかったんだと。無意識的に削除していたと言ってもいいかもしれ ません。そしてこの削除するという行為の背後にはエンドゲイニング的心理が働いていたんです。この心理状態が起こると動機から目的に一足飛びに意識が移っ てしまう。点から点ですね。その間を意識が端折ってしまうのです。
松嶌: 人 間には自分にとって「重要でない」という情報は即座に「ないもの」にしてしまう習慣があるんですよね。とくに大人になって、あまりに膨大な情報処理をこな す必要があるとどんどん端折っちゃう。端折ると脳が楽なものだから、端折り癖がついて重要な感覚の信号も脳までも届かなくなる。大人になって一年が早くな るっていう感じは、きっと端折っている証拠。
谷村: そ こで落ち着いてその間に意識が流れ込むゆとりを与えることがアレクサンダーで言うインヒビジョン(抑制)ということだと思ったのです。そしてこの“間”に 意識が流れるプロセスの中に内的筋肉の活動があるんだと。それがわれわれの“生きる力の源”といってもいいし、以前、福井さんの言われた心理学で言う“エ ネルギー”や“気”というものの活動なのではないかと思いました。
この“間をつなげる”という作業を誰もが無意識的にやっていることがあります。この間NHKで今年から始まったデジタルハイビジョンの説明をやっていたん ですが、デジタル放送というのは、早く言えば映像を碁盤の目のように区切ってそこに番号をつけ、その番号の区切りごとに別な周波数を送るというものらしい ですね。これはさっきの話しで言うとやはり点の集まり。そしてその点が細かくなればなるほど木目細かい映像が見れるというわけです。しかしそれはやはり点 の集まりでしかないでしょう? そこで私が思ったのはその点と点を“つなげている”のはわれわれ個人個人の脳が無意識的にやっているんだということです。 テレビがやっているわけではない。この“つながる”作業が脳の中で起こらなければ全体としての映像は私の中で成立しないわけです。
そういう私の個人的な気づきから始まって、デジタルは科学の分野であり、それを“つなげる”作業が芸術や宗教の分野なんじゃないかと思いました。両方とも 重要なことなんだけれど、長い間私の中でそのことがはっきり区別ができていなかったように思うんです。科学と宗教の融合なんてことを最近言われるように なってきましたが、そのためにはそれぞれの分野の役目をはっきりさせておいた方がいいように思うのです。
このことに気がついてから“書“の見方がずいぶん変わってきました。その”書“と余白の“つながり”を感じるんです。音楽で言えば音符と音符の“間”であ り、文章も“行間を読む”なんてこと言うでしょう。しかしこの“間”については目に見えないし言葉にもできない。だから科学では取り扱えないんです。でも 経験を通してその重要性をはっきりと感じることは誰にでもできる。そういう意味でこれは芸術や宗教の分野だと思うのです。
松嶌: 優れた科学者に強い宗教心を持った人や音楽などの芸術に通じた人が多いわけだ。
いつでも「拡がって」「つながって」という誘導は使えますね。瞑想の一段階としてのイメージトレーニングとしても、取り入れるべきですね。上達すれば、隣 りの人とオシャベリしても、ふと夕食の献立が頭に浮かんだり職場で上司に叱られたことを思い出しても、呼吸を含む全身のつながりを保てるかも。レッスンの 中に組み込めないか、考えてみましょう。
谷村: そ の“ふと夕食の献立が頭に浮かんだり叱られたことを思い出す”というわれわれの意識について次に話してみたいと思っていたんです。これには個人個人それな りの原因があるのでしょうけれど、少なくとも“今、ここ”から意識が遠ざかっていることは確かです。教室でアサナをやっている最中でも・・・。われわれの 日常生活をよく観察してみるとそういった意識状態が大半を占めていることがわかります。からだは“今、ここ”で何かをやりながら頭の中はそのこととはぜん ぜん違うことが巡っているんです。つまりわれわれの意識が“今、ここ”にいることがめったにないんです。
松嶌: もちろん注意を向ける瞬間はあっても、ほんの一瞬だけ。すぐに心ここに在らずの意馬猿心。
谷村: そ うですね。そこでどうしてそれが問題かというと、からだはいつも“今、ここ”で働いてくれているものでしょう? なのに意識が“今、ここ“になかったらな んの気づきも起こらないでしょう? つまりそういう傾向が常習的な人はからだと意識がかけ離れてしまっていてバラバラになってしまっているわけです。だか ら”今、ここ“で起こっているからだの変化に対しても鈍感なわけ。
松嶌: その意識状態は筋肉の使い方だけじゃなく、きっと内臓や神経組織、内分泌腺など、身体全部に悪影響を及ぼすはずですね。
谷村: そ こでさっきの“集中”ということだけど、それは意識を収縮させて、一点に固定させることではなくて、“今、ここ”に意識を取り戻すことなんだと思ったわけ です。その辺のことを私は長い間混同していたように思います。実際このことが私の中で整理され、意識が“今、ここ”に戻ってきて、からだといっしょになる ことによって“平安”がやってくること。そして“今、ここ”でからだと共にさまざまなものと“つながる”という内的な活動が活性化されることによって“生 き生きさ”が生まれるということがはっきり理解されてきました。そのことが人にとって極めて自然な活動の在り方であって、意識を収縮させて固定し、“今、 ここ”にいないことがいかに不自然なことであるかがわかりました。そういうときにこそ心の不安定感や体の不調が起こる前兆として起こっているんだと思いま した。
松嶌: 意 識の不在を意識する、なんて難しいことですね。多くの病気って、道連れであるはずの心が迷子になっちゃって不安になった身体が「ここだよ~」って訴えてい る声だというわけですね。ヨガやアレクサンダーテクニークが単なる健康法じゃなく“自分探しの旅”っていわれるはずだ。
谷村: そうですね。今年も、やっぱりこの旅を続けましょう。
松嶌: それぞれのペースで、ね。
《インナームーヴより》

 

  • 2009年3月22日(日) 14:43 JST

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