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スキルアップのための集中ワークショップ感想

 

 

今回も山あり谷ありいろいろあったなあ、とパラパラと日記帳をめくりながら思い出しました。私は教わったことの記録は残さないのですが、その日何があって誰と何をして、どんな感じが訪れたか、どう思ったかは細かく書いていて、自分で書いておきながらおかしかったりしんみりしたり呆れたりすることがよくあります。その時は一生懸命自分の気持ちを日記帳にぶつけ、整理しようとしているのであまり気づかないのですが、過ぎてみると、落ち着いた離れた視点で自分の姿を見直すことができます。今回もおもしろい発見がありました。

はっきり言って、私はいまいち質が良くありませんでした。正確に言うと邪魔が多かったということなのですが、ATの学びがまだ浅いので当然なのかもしれません。自分の質・内容が充実していなくて、ふくよかさや伸びやかさ、イキイキさやたくましさ、透明感や若々しさがあまりなかったように感じます。何かいつも無い感じで私の内は殺風景でした。そんな自分でも書くことで慰め、今日のありのままを残したくて時々しょんぼりしながら日記帳に向かったのですが、嬉しいことや感動したこと、自分が元気になったことなどは字も整っていて、いきいきと溢れるように文章を書いています。字を見たらその日の満足度が分かるほどです。

今回のワークショップで、いきいきした字で残っている場面は2つありました。1つは、自分の内面の質が、素直で柔らかくクリアになった、チェアワークでした。言葉で表現しにくいのですが、少しずつ私の内側も邪魔が減ってきているんだな、と思いました。言葉の代わりに涙しか出ませんでしたが、変われるという可能性を感じることができたので、たった1回でしたが私にとっては大きなことでした。

2つめは谷村先生が、生徒に教える姿でした。その日は、23年目のトレーニーが対象だったのですが、何気なく見ていた光景の中に、私の心を打つものがいくつもありました。先生は静かに生徒に触れ、言葉をかけ、ゆっくりと生徒の体勢を整えていかれました。まるで小さな子供に「こっちだよ。」と合図するように。どうしてあんなに穏やかに優しく教えられるんだろう、どんな気持ちなんだろう・・・。殺風景な私には、起きそうもない態度でした。うまくいかなくても、よく分かってなさそうでもできることから始めさせ、生徒が焦ったり混乱したりしないよう無理はされませんでした。教師としてあんな風になりたいけれど、なかなかできることではないな、と思いました。根気よく適切に、生徒のプライマリーコントロールを信じて指導される先生の姿は、私には遠い存在で、涙が出てくるような温かさを放っていました。言葉でなく実際の姿でとても大切なことを教えていただきました。

そしてまた、そのトレーニーの姿も印象的でした。テクニックが難しくてまだぎこちない動きでしたが、先生の指導を素直に受け、一生懸命努力している姿、うまくいかなくても笑顔で前に進もうとする姿は、眩しくて微笑ましくて私が目指す質の高い学びの態度でした。実は私にはそれが欠けていて、変形した私が、いつも質を落としていくのが分かります。つい歪んでしまう癖がありますが、私も本当はそこに向かいたいのです。この時、先生も生徒もいい表情でした。和やかででも壮快で、見ていて心が洗われました。生徒に本当に伝わる教え方って、先生から本当に受け止める学び方ってどういうものなんだろう。この日見たものの中にヒントがあるように思いました。

 いろいろ内側でごちゃごちゃしてしまいますが、いつもたどり着く結論はひとつ、明確なのです。すべきことを出来ることから丁寧にやりましょう、です。癖が、質がどうとかこうとか考え込んでいる暇があったら、さっさとワークを進めたほうが、「あら、いつの間に?」とほとんど解決してしまうものです。私はハンズオンの練習をしている間に、悪かった機嫌が良くなりました。また生徒に教え始めると、さらにイキイキしてきて自分の全てがupしました。

レッスンを積むと癖・習慣がだんだんはっきりしてきて気になります。できるだけ早くどうにかしたくなります。落ち着いて観察して、現状を把握することなく癖・習慣は相手にできませんが、私はどうもそこに時間とエネルギーを費やしてしまいがちです。そして少しずつやるべきことからズレていきます。同時に勢いを弱め、修正した新たな手段ですべきことを積極的にしなければ対抗できない、ということをつい疎かにしてしまいます。やっぱり楽をしたいし、抑制とnon doingの実際的理解が正しくできていないようです。ここは、なかなか手強いところです。必要な努力が足りなくて、余計な努力を頑張ってしているのでしょう。もうそろそろ、やめたいです。

 

ピーターさんが、抑制とnon doingについて、興味深い解説をされていました。

抑制とは、とりあえず止める、また進行している良くないものの勢いを抑えるようなことをする、の2つがある。non doingは抑制したあとの結果で、余計なことをしていない状態である。また、non doingは単に「やろうとする」のを抑えた静かな行為というのではなく、doing(心身の良い状態を歪ませること)なしに行為することだ、とおっしゃっていました。

この説によると、私は、抑制の2つめのすべきことが不十分だし、歪みを自覚していることから見てもdoingなしで行為していないということが明らかになりました。

 そしてただやみくもに練習すればいいというのでもなく、理解しようと立ち止まるのでもなく、すべきことを実践しながら、自分がしていることの実情を客観的に知るために、事実と言葉の意味、自分の感覚と認識を摺り合わせて、何度も修正しなければならないということも分かってきました。前向きに、賢明に、楽しく健全にATを学び、教えるというのは実はとても奥が深く、レベルの高い技なのだと思いました。少し見えてくると、またやる気と希望が湧いてきました。まだまだ意欲がある自分に安心しつつ、良くやるなあと、思います。

 

 私は、谷村先生がよくおっしゃる、質や態度という捉え方に関心があります。今回は自分も周りも、そういう内側の精度・レベルがいろいろな面で表に出てくる、ということによく気づきました。その精度を高めながら、テクニック、言葉、声、指、身体、そして自己を上手に使って発揮できるようにこれからも練習は続くな、と思いました。リカさんやピーターさん、谷村先生はもちろん、私の周りでATを学んでいる人たちは、個人的にはいろいろあるでしょうが、元気で楽しそうで明るい笑いが絶えません。そういう教え方・学び方を私は、教えていただいています。イスラエルでリカさんがおっしゃっていたように、私は安全で信頼できる素晴らしい場所で、大好きなATを学べてありがたいなあ、とこの感想文を書きながら、しみじみ思いました。いろんな波がやってきますが、ここなら何とか見失わずに進んでいけそうです。

 

  • 2014年June30日(Mon) 20:36 JST

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